震災支援ネットワーク埼玉

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【3/6 所沢・オンライン】シンポジウム“復興の人間科学 2022” 『FUKUSHIMAは終わっていない!』

 

※画像をクリックするとPDF表示されます

記憶から消えつつある、あの事故のこと。もう忘れよう。無かったことにしよう…それでいいのですか?

◆日時
2022/3/6(日) 13:30~17:30

◆現地会場
早稲田大学 国際会議場 井深記念ホール
〒169-8050 東京都新宿区西早稲田1-6-1 早稲田大学 早稲田キャンパス 総合学術センター内 国際会議場1F

◆アクセス
・地下鉄 東西線 早稲田駅より大学構内を横切っていただいて、徒歩9分
・都電 荒川線 早稲田駅より徒歩3分
・高田馬場駅からバスにて早大正門まで約13分、早大正門 から徒歩6分

◆オンライン会場
Zoom同時開催
zoom参加の場合ネット申込制
WIMAホームページよりお申込みください。

◆プログラム
[プロローグ]東京電力11年の変節と埼玉訴訟の経緯(13:30~13:55)
原発事故責任追及訴訟埼玉弁護団

[第1部]原発避難者調査報告(13:55~14:25)
早稲田大学災害復興医療人類学研究所
研究所員 金智慧(人間科学学術院助手,臨床心理士,医療人類学)
招聘研究員 平田修三(仙台青葉学院短期大学講師,発達心理学・児童福祉学)
招聘研究員 岩垣穂大 (日本女子大学人間社会学部助教,社会福祉士,精神保健福祉士)

[第2部]原告との対話(14:25~15:25)
長期避難、帰還、移住、区域外、それぞれに分断が深まり長きにわたっての苦悩の実情を専門家がお聴きします。
猪股 正 (震災支援ネットワーク埼玉SSN代表,弁護士)

[第3部]講演 被害者バッシングをどう乗り越える?(15:40~16:25)
~差別、偏見に今後どう対処するか~

明戸 隆浩 (立教大学社会学部メディア社会学科助教)
<コメンテーター>
辻内 琢也(早稲田大学人間科学学術院教授,早稲田大学災害復興医療人類学研究所所長)

[第4部]FUKUSHIMAは終わらない 若者の声(16:25~16:40)
原発事故発生時に小学生で、現在大学生となった避難者の声

[総評](16:40~17:00)
一人ひとりの被害者の経験を日本の原発問題、日本の歴史的問題に”自分ごととして”結びつけて考える
除本理史 大阪市立大学大学院教授
海渡雄一 弁護士 脱原発弁護団全国連絡会共同代表

[リレースピーチ]FUKUSHIMAは終わらない(17:00~17:30)
全国の原発被災当事者、支援団体、弁護団

◆備考
無料、入場自由

◆主催
早稲田大学災害復興医療人類学研究所(WIMA)

◆共催
震災支援ネットワーク埼玉(SSN)
福島原発さいたま訴訟を支援する会(福彩支援)

◆お問い合わせ
WIMA研究所事務局:辻内研究室内 〒356-1192 埼玉県所沢市三ヶ島2-579-15
シンポジウム事務局 shinsai-wima[at]list.waseda.jp
※[at]を@にかえてご利用ください

『福島原発事故被災者アンケート2022』調査実施のお知らせ

震災支援ネットワーク埼玉(SSN)では、早稲田大学災害復興医療人類学研究所(WIMA)と共同で、福島原発事故被災者アンケート調査2022を実施することとなりました。

従来は、被災自治体からの郵送物に調査用紙を同梱していただく形で首都圏の避難世帯を対象に実施して参りましたが、今回は、Web上にアンケート調査サイトを設置し、範囲を拡げて、より多くの被災者の皆様を対象として実施させていただきます。

ご自身が、原発事故による避難者・被災者・被害者であるとお考えの方は、どなたでもご回答いただけます。
16才以上の方であれば、区域外から避難された方、地元へ帰還された方、移住された方、海外に避難中の方も含めて、どなたでもご回答いただけます。
ご家族内に複数のメンバーがいらっしゃる場合は、一人ひとり別々にご回答下さい。

これまでに、早稲⽥⼤学災害復興医療⼈類学研究所(WIMA)と震災⽀援ネットワーク埼⽟(SSN)では、原発事故による被災⽣活の問題点を明らかにし、必要な対策がとられるよう社会全体で考えていくために、2012年以来、適宜NHKなど他団体の協力も得ながら、調査を継続的に実施してまいりました。

その結果を、復興庁・裁判所・自治体に対する要望書や意⾒書、テレビ・新聞などでの報道、学会での発表や論⽂を通じて、世の中にひろく伝えて参りました。

この調査を通してみなさまの貴重な声をお聴かせいただき、結果から⾒える問題点を、国や⾏政をはじめ、法律・福祉・医療等の関係者や、さまざまな関連団体に届けることにより、みなさまの⽣活の改善をはかるために役⽴てます。

このようなアンケートには何度もお答えいただいてお疲れのことと存じますが、何卒趣旨をご理解のうえ、ご協⼒いただけますよう、お願い申し上げます。

それでは、下記のリンクへお進みいただきご協力のほどお願いいたします。

福島原発事故被災者アンケート調査サイト
https://sites.google.com/wima.jp/survey2022/

「被災当事者の語りに耳を傾け学ぶことの意義」 シンポジウム『復興の人間科学2021』報告

2021年11月28日、早稲田大学 大隈講堂で実施されたシンポジウム、 “復興の人間科学 2021”『福島原発事故10年の経験から学ぶ』~当時小学生だった若者達との対話から~の報告論文です。

上の画像部分をクリックするとPDFファイルをご覧いただけます。ぜひご一読ください。


筆者は震災支援ネットワーク埼玉SSN(以下、SSN)の心理相談チームの一員として、2011年3月11日の東日本大震災以降、原子力発電所事故(以下、原発事故)による被害から逃れるために、住み慣れた土地からの避難を余儀なくされた福島の方々とのかかわりを続けてきた。

原発事故から10年が経ち、日本に住む多くの人たちの記憶が薄れ、風化していくなか、本シンポジウムにおいて、原発事故当時小学生だった若者たちとの対話が実現したことは、非常に意義のあることである。

この世代の方々の語りは、震災支援を継続してきた者たちにとって聴く機会のなかった、さらに言えば聴こうとしてこなかったものであり、さまざまな経験を抱えながら、彼らが深く考え、生き抜いてきたことを痛切に感じる機会となった。

当時小学生だった、そして現在大学生となった彼らから受け取ったものをしっかりと抱えながら、本稿では、我々SSNの活動を紹介するとともに、被災当事者である福島の方々の実際の語りとともに、その語りに耳を傾け学ぶことの意義について考えてゆきたい。

萩原裕子a,b、中川博之a,b、愛甲裕a,b、猪股正a,b、辻内琢也a,b,c
The Importance of Listening and Learning from the Narrative of Survivors
Yuko Hagiwara,Hiroyuki Nakagawa,Yutaka Aiko,Tadashi Inomata,Takuya Tsujiuchi
a.震災支援ネットワーク埼玉(SSN):Shinsai Shien Network Saitama
b.早稲田大学災害復興医療人類学研究所:Waseda Institute of Medical Anthropology on Disaster Reconstruction
c.早稲田大学人間科学学術院:Faculty of Human Sciences, Waseda University

【シンポジウム動画配信】2021年11月28日(日) “復興の人間科学 2021” 『福島原発事故10年の経験から学ぶ』~当時小学生だった若者達との対話から~

2021年11月28日 早稲田大学大隈記念講堂で開催されたシンポジウムにつきまして、収録の動画がYouTubeに公開されましたのでお知らせさせていただきます。

なお、今回の企画では、若い当事者学生達の勇気ある発言に耳を傾けていただきたく存じます。様々な意見をお持ちの方がいらっしゃると思いますが、話し合いや議論のキッカケになることを望んでいます。誹謗中傷など、人を傷つける心ない対応のなきようご理解とご協力をお願いいたします。

【第1部】被災当事者学生による講演

 

【第2・3部】金菱清「現在大学生になる被災当事者との対話から私たちは何が学べるか」・パネルディスカッション

 

【第4・5部】萩原裕子「被災当事者の語りに耳を傾け学ぶことの意義」・シンポジウムのまとめ

開催概要は下記の通りです。


日時:2021年11月28日(日)10時~18時

(無料・入場自由)

場所:早稲田大学大隈記念講堂(地下1階)小講堂

Zoom同時開催:zoom参加の場合ネット申し込み制 (こちらのページよりお申し込みいただけます)目的

原発事故による避難生活という過酷な人生体験を小学生の時期に経験した被災者は、今年で17歳〜22歳となります。

現在大学生となった被災当事者は、あの震災をどう受けとめ,またこの10年間をどのような社会経済状況におかれ、どのような心理状態で、どのように思考を重ね、どのように生き抜いてきたのでしょうか。

本シンポジウムにおいて、心身医学・精神医学(辻内・熊野)、医療人類学(金・辻内)、発達心理学・児童福祉学(平田)、発達行動学(根ケ山)、臨床心理学(桂川・金)、教育心理学(桂川)、社会心理学(日高)、環境心理学(小島)、社会福祉学(多賀・増田・岩垣・猪股)、地域福祉学(増田)、精神保健福祉学(岩垣)、公衆衛生学(扇原・日高・岩垣)、社会学(多賀・辻内)、文化人類学(金・辻内)、法学・政治学(猪股)といったトランス・サイエンス(学際的・学融的)の観点から、未来を担う若者達の語りを傾聴し、対話を重ねていくことに意義があります。

本チームがこれまで10年間に行ってきたシンポジウムでは、「今被災者にとって何が問題なのか?被災者をいかに支援すべきか?」というテーマを中心に、被災当事者の方たちと専門家が対等な位置関係で互いに学び合う機会を作ってきました。中でも、本シンポジウムの特記すべき点は、震災当時小学生であった若者の経験と考えから学ぼうとする新しい取り組みにあります。

スケジュール

[ご挨拶] 10:00〜10:10

扇原 淳 (早稲田大学教授・人間総合研究センター所長)
平田 修三 (シンポジウム実行委員長,仙台青葉学院短期大学講師)

[第1部.被災当事者学生による講演] 10:10〜13:00

  1. 被災当事者学生5名(双葉町・福島市・郡山市・いわき市出身)による講演:「原発事故10年の経験/いま考えること」
  2. 早稲田大学人間科学部学生による発表:「被災当事者学生へのインタビューを通して学んだこと」
  3. 研究者5名によるコメント (臨床心理学・社会心理学・建築環境心理学・行動医学・社会福祉学の立場から)

[第2部.基調講演] 14:00〜15:00
『現在大学生になる被災当事者との対話から私たちは何が学べるか』

金菱 清(関西学院大学社会学部教授、災害社会学・環境社会学)

[第3部.パネルディスカッション] 15:10〜16:40
被災当事者学生5名と金菱清・萩原裕子とのクロストーク

  1. 原発事故10年の経験の意味・意義を考える
  2. ポスト3.11・ポストコロナの日本・国際社会のあり方を考える
  3. 若者達による提言

[第4部.講演] 16:50〜17:30
『被災当事者の語りに耳を傾け学ぶことの意義』

萩原 裕子(震災支援ネットワーク埼玉SSN・心理相談チーム代表)

[第5部.シンポジウムのまとめ] 17:30〜18:00

根ケ山 光一 (早稲田大学名誉教授,発達行動学)
猪股 正 (震災支援ネットワーク埼玉SSN代表,弁護士)
辻内 琢也 (シンポジウム大会長,早稲田大学教授,
早稲田大学災害復興医療人類学研究所所長)

◆主催:早稲田大学人間総合研究センター

◆共催:震災支援ネットワーク埼玉(SSN),早稲田大学災害復興医療人類学研究所(WIMA)
科研費基盤研究(B):原発事故被災者の移住・帰還・避難継続における新たな居住福祉に関する人間科学的研究

【書籍】いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」

朝日新聞出版より、書籍『いないことにされる私たち 福島第一原発事故10年目の「言ってはいけない真実」』が出版されました。

「住宅提供を打ち切られれば暮らしていけない」

「なぜ避難者数に私は数えられないのか」。

甚大な被害を及ぼした福島第一原発事故。

避難者たちは、国の政策に翻弄されながらこの10年をどう過ごしてきたのか、

その実態に迫る内容となっています。

ぜひ、書店でお手になさってみてください。

アマゾンでも購入可能です。

著者:青木 美希(あおき・みき)

新聞記者。1997年、北海タイムス入社。北海タイムス休刊にともない、1998年9月に北海道新聞入社。旭川と札幌で勤務。札幌で警察担当のときに北海道警裏金問題(2003年11月から約1年のキャンペーン報道)を手がける。

2010年9月、朝日新聞に入社し、東京本社社会部に所属。東日本大震災では翌日から現場で取材した。

2011年9月に社会部から特別報道部へ。原発事故検証企画「プロメテウスの罠」などに参加。

2013年、特別報道部の「手抜き除染」報道を手がける。

2019年度 首都圏避難者状況調査分析結果に基づいて復興庁へ申し入れ/要望書を提出

 

震災支援ネットワーク埼玉(SSN)では、早稲田大学災害復興医療人類学研究所(WIMA)と共同で、首都圏避難者状況調査を2019 年 12 月~2020 年 3 月に首都圏(関東 1 都 6 県)の避難世帯を対象に実施し、この集計結果を基に、2020年6月19日に復興庁(東京都千代田区霞が関)に対して申し入れを行い、要望書の提出を行ってまいりました。

今回の申し入れにあたっては、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官の経験もおありの金子恵美 衆議院議員(福島1区:写真右)のお力添えにより、要望書を提出するだけではなく復興庁 統括官を始め参事官の皆様にご列席いただく中、直接要望を述べさせていただき、意見交換のお時間をいただくことができました。

引き続き、今後各省庁および福島県へ要望書の提出を行ってまいります。

2019年度 SSN/WIMA原発事故被害アンケート調査 第5報(改訂版)

実施期間:2019 年 12 月~2020 年 3 月 対象 :首都圏(関東 1 都 6 県)の避難世帯を対象に 5925件送付(現在回収継続中) 送付先 :双葉町 900 件,大熊町 940 件,浪江町 1670件、富岡町 1450 件,いわき市 400 件
川内村220件,福島市170件,郡山市175件

引き続く原発避難者の苦難を直視した継続的かつ実効的支援を求める要望書

(さらに…)

SSN所属の臨床心理士の論文「福島 豊かな地への想い ーある女性の人生の物語を通してー」が収録された書籍が発刊されました

震災支援ネットワーク埼玉(SSN)のメンバーで、臨床心理士である萩原裕子が執筆した論文「福島 豊かな地への想い ーある女性の人生の物語を通してー」が2019年3月に出版された論文集「移ろう継承と越境する芸術(八坂書房)」に収録されています。

この論文は、東京電力福島第一原発事故の影響で福島県いわき市から同県中部に自主避難している女性から体験談を聴き取り、考察を加えてまとめたものです。この論文には、つらいことがあっても笑いに変えて生きている、福島の人が強く、淡々と生きる姿勢を伝えたいとの萩原の想いが込められたものとなっています。

SSNでは2012~2018年に年に1度、埼玉県を中心に首都圏に広域に避難する方々を対象に、避難生活の状況やお困りごとについて尋ねるアンケートを実施しています。この中で専門家による相談をご希望になられた方に対して電話での相談に対応させていただいています。

その中のお一人の女性に萩原が初めてお電話を差し上げたのが2016年の5月。以来、電話でお手紙、さらには実際にお会いするようになっています。本来、臨床心理士として受けた相談内容を第三者に伝える事はタブーとされていますが、女性がたくましく生きる様子を多くの方に知ってほしいと思いたち、本人にご快諾をいただいた上で、合計14時間に及んでお聴きしたお話を基に論文としてまとめています。

女性が自然豊かな環境で暮らすことを夢見て、約20年かけて少しずつ購入した山野に野菜や果物、絶滅危惧種の野草を育てながら自然の中での夫婦での生活を楽しんでいた中で発生した原発事故。この事故以来、目に見えない放射線への不安から、育ててきた野菜や果物を食べる事を断念。東京電力からの賠償も受けられない状況です。原発事故への憎しみからストレスで胃潰瘍となり、夫が脳梗塞を患い病院へ通い始めたことで2012年から自主避難を続けていらっしゃいます。

萩原宛の手紙の中に次のような一文が記されています。
「心地よく五年間の私の重荷をおろしてくださったのですね。感謝の気持ちでいっぱいです。」

萩原は論文中に次のように記しています。
「筆者は臨床心理士として病院や学校で経験を積んできたが、東日本大震災以降は今まで仕事をしてきたような臨床心理学・精神医学といった枠の中だけでは対応しきれない状況に向き合うことを余儀なくされた。」

そして聴き手の姿勢として、「半歩下がった同行者」を強く意識していると述べています。
「註」として参考文献の中から以下の通り引用しています。

野村豊子編集代表『Q&Aでわかる回想法ハンドブック』中央法規、2011年、23頁。
「人生は過去の体験や出来事が縦糸や横糸となって織り成される一枚の織物のようなものである。無数の織り目には、楽しさや嬉しさと同時に、つらさや悲しみも込められており、それには一枚として同じものいはない。自らの人生という織物に込められた、織り目・体験の意味を知ることができるのは、その人自身である。
ライフレビューセラピーを行うものは、語る人の人生という織物をほぐし、又紡ぎなおす過程に連れ添う半歩下がった同行者である」


移ろう形象と越境する芸術:小林頼子先生退職記念論文集

単行本: 512ページ
出版社: 八坂書房 (2019/3/13)
ISBN-10: 4896942582
ISBN-13: 978-4896942583

書籍について詳しくは八坂書房のこちらのページをご覧ください。

2016年度 避難者状況調査(第5回)報告書

私たち震災支援ネットワーク埼玉は、2011年3月、さいたまスーパーアリーナが一時避難所となり、東日本大震災および東京電力福島第一発電所の原発事故による避難者を受け入れた際に駆け付けたボランティアの中で、弁護士、司法書士、医師、看護師、臨床心理士、社会福祉士、ITスペシャリストなど、各方面の専門家により相談を担当したグループで、以来、被災者支援活動を継続して行っています。

2012年春に福島県から埼玉県へ避難中の世帯を対象として実施した「避難者状況調査」以来、毎年形を変えながら実施し、第5回目となった2016年度避難者状況調査は、以下の自治体にご協力をいただいて実施させていただきました。

  • 双葉町(関東1都6県):875世帯
  • 大熊町(関東1都6県):1,000世帯
  • 富岡町(関東1都6県):1,500世帯
  • いわき市(関東1都6県): 700世帯
  • 南相馬市(全国):6,200世帯

合計:10,275世帯

皆様には多数の設問でご負担をおかけいたしましたことをお詫びさせていただきますと共に、ご協力をいただきました方には心より御礼申し上げます。

集計結果につきましてまとめさせていただいたものをPDFファイルとして公開させていただきます。*クリックすると別ウィンドウ/タブで開きます。

2016年度 広域避難状況報告(A5版48ページ、PDFファイル:1,791KB)

3/17 原発避難集団訴訟 前橋地裁で全国初の判決

東京電力福島第1原発事故の避難者の皆さんが、東京電力や国に対して損害賠償などを求めている集団訴訟は全国で30件近くあります。

事故発生から6年が経過した2017年3月17日(金)には、群馬県前橋地裁において全国初の判決が言い渡されます。
原告は避難区域から群馬県などに避難した76名と、区域外から自主避難した61名の合計137名です。

<詳しくは河北新報のこちらの記事をご参照ください。2017/3/16>

第5回 避難者状況調査報告(2):強いられる「自己責任」~自ら望まない決断~

「福島県内に帰還」するか「福島県外に移住」するか、首都圏避難者にとって、大きな選択が迫られています。発災以来、生活費、仕事、住まい、損害賠償、家族、コミュニティなど、さまざまな要因によって大きな精神的苦痛を背負ってきた避難者に、さらなる「決断」が突きつけられています。

それは自ら望むことがない、「自己責任」という名のもとでの「決断」です。

6年にわたる避難生活の中で、国も誰もはっきりとした見通しを示すことができない状況の中で、全ての判断と選択の責任が個人に任されることになります。これまでも首都圏避難者は原発事故という未曾有の事故によって、さまざまな選択と決断を余儀なくしなければなりませんでした。それぞれの事情を抱えながらのギリギリでの選択です。

そのたびに、「本当にこれで良かったのか?」という疑問とともに、後になって悔やむことも数多くあったことでしょう。

そして福島県外へ、首都圏へ避難するという大きな決断をしました。しかしそれは、自分でしたくて行った決断ではありません。どちらを選んだとしても、自分の選択を悔やんでしまうことになる、原発事故によって強制された「自己責任」です。

不安で誰からも守られない状況となると、人は自分では決まられなくなるものです。

帰還できないなら早く次の生活ができるよう事を決めていただきたい。

         (帰還困難区域から東京に避難中の男性)

早く避難者、被災者を卒業したい。

   (南相馬市から東京へ避難中の女性)

「福島県内に帰還」するか「福島県外に移住」するか、ふるさとを失った方にとって、重要な決断が迫られています。

設問の中で、「帰還するために特に重視する条件は何ですか?」とお尋ねした所、次の3点が上位を占めています。

  • 1位:放射線量の低下
  • 2位:ライフラインの整備
  • 3位:医療/福祉サービスの再開

放射線量だけを考えた場合、戻っても良いと考えられる放射線量の水準は「震災発生前の線量(追加被ばく0mSv)」が最も多い回答でした。さらに、「地元の避難指示が解除された後の、世帯の方針について」お尋ねした質問では、「帰還する」という回答は全体の6%にしかすぎず、「移住する」という回答は23%。「当面は避難を続ける」という回答が35%と一番多いものとなりました。

また「決めていない」という回答が24%。この選択肢はもしかすると実際には「決めることができない」という意味でお答えいただいた方が多いような気がしています。交流会や相談対応で避難者の方からお話をお聞きする経験からなのですが、次回は選択肢の表記を修正すべきと感じているところです。

首都圏避難者が抱く「情けない」という感情

「情けない」・・・交流会でお話をお聴きするときに、相談を受けるときに、被災者の方からよくお聞きする言葉です。やり場のない怒り、悲しみ、虚無感、あきらめの感情が込められた言葉としていつも受け止めています。

さいたま市で暮らす私(筆者)にとって、日々の慌ただしい暮らしの中で、東日本大震災の記憶が少しずつ薄れていくように思えます。今まで経験した事のない激しい揺れに大きな恐怖を感じました。

帰宅困難・・・計画的停電・・・。

そして繰り返す余震が発生するたびに、あの時の恐怖が何度も蘇り、数日間、常に地震で揺れているような感覚。

あの時の恐怖、あの時に感じたこと、あの時に思った事・・・
首都圏都市部で生活する私にとって、あの時のことが今では遠い過去のように記憶が薄れて行っています。

しかし、避難生活中の皆さんが異口同音におっしゃるのは「あの日から時計がとまったまま」ということです。それほどまでの体験をなさっているのです。

2016年度の首都圏避難者状況調査では、「あなた自身の事故発生当初1週間の原発事故体験について」お尋ねさせていただきました。

複数に〇をつけていただいたのですが、上位5つは以下の通りです。

  1. 何が起きているかわからなかった
  2. 報道で知って急に怖くなった
  3. 身の危険を感じた
  4. 必死に逃げた
  5. 放射線がとても怖かった

福島で被災し、原発事故により余儀なく避難を強いられた方にとって、その恐怖、衝撃は、想像に絶するものがあります。実際に体験した方でなければ、解らないことです。

あえて今一度、具体的に、これまで交流会、相談会でお逢いしてきた皆さんのお話の中で、福島県浪江町から避難していらっしゃった方のお話を想い出しながら、想像してみたいと思います。

巨大地震の発生で途方に暮れていたころ、

突然回りが避難を始め出し、警察や消防団も避難を呼びかけ始めて、県からも国からもどこへ逃げるべきか指示はなし。

町の判断で原発から30km離れた津島地区に避難所が開設。

約8,000名の町民が数日間避難。

配給された食事は、半分の大きさの冷たいおにぎりと具のない味噌汁。教室の中でダンボールを敷いて、寒さと不安で眠れない夜。

数日で自宅へ帰れると思っていた3月16日、

この地区の放射線量は毎時60マイクロシーベルトである事が判明。

被ばくの恐怖を抱きながら遠くへ遠くへ・・・

避難所を転々とするなかで、東京電力福島第一原子力発電所の状況が深刻であることを刻々と伝えるテレビのニュース・・・

放射線量が低く、生命の危機から逃れられた首都圏での避難所生活。自宅へそして故郷へ長きにわたって帰れないかもしれないという、不安。

国が、避難先の自治体が、用意してくれた住居は古いアパートの4階。二間しか無いアパートでは長男家族とは一緒に住むことはできず、

浪江では一緒に住んでいた長男は仕事で福島に戻ることに。

エレベーターの無いアパートでの高齢者の二人暮らし。

家業も失い、いまさら避難先でできる仕事もなし。

故郷では庭いじりをしたり、野菜を作ったりしていたのに、外出するのは買い物の時だけ。

長男と一緒にお盆の暑い盛りに防護服に身を包み一時帰宅。

庭一面に延びたセイタカアワダチソウをかき分けながら家の中へ。

地震で散乱した家の中に無数のネズミの糞。天井一面のカビ・・・

渡されたビニール袋に限られた想い出の品を詰める、限られた時間。

たくさんの想い出を置き去りにしての帰路。

家、土地、仕事、故郷、友達、生きがい・・・何もかも失った自分に届いた損害賠償請求書。

分厚い書類は難しい文章ばかり。要求される領収書。

自動車事故の時に支払われる最低金額の自賠責保険と同じ水準で定められた月額10万円という慰謝料。

やっとの思いで書いた請求書も、あれはダメ、これはダメと言われてしまい。

同じ町でありながら、3つの区域に線引きされて、生じた賠償格差。

避難指示が解除されて、戻ったとしても暮らしを立て直せるのかという不安。

都会に残ったからといって暮らしていけるかという不安。

これから先のことを選択しなければならない不安。

原発事故発生以来、避難を強いられた皆さんは、何度「情けない」という言葉を口に出した事でしょう。あるいは心の中で唱えた事でしょう。

「情けない」それは自分自身に向けられてしまっている言葉です。

その言葉を発するたびに、心の中に浮かぶたびに、自己の尊厳、自尊心が傷つけられるように思えてしまうのです。

この「情けない」という感情は、過去のものだけでなく、今でも継続しており、この先の見通しもつかないことに対しても抱かれるものです。

2011年、福島からたくさんの方が避難していらした年、私たちSSNが行った相談会、電話相談を振り返ってみると、浪江町から避難していらっしゃった方々の多くが、怒りの感情を露わにしていらっしゃった事が思い出されます。

東京電力への怒り、国への怒り、行き場のない怒り。。。

国がSPEEDIのデータを公表しなかった事、重大情報が伝わらなかった事で高線量の地域に避難させられることになったこと。

毎時60マイクロシーベルトの危険な場所に居ながら何も知らずにいたこと。

小さな子供を危険に晒していた事について悔み続け、誰を恨んでいいのかも判らない状況。

そのような経験をした方々の怒りが根深いのは当たり前のことです。

それほどまでの経験を強いられたのです。

あの日・・・何を見て何を考えたのか、

あれから・・・どこをどう歩いてここまでたどりついたのか。

忘れちゃいけないと思い、思い出し記憶しておくくせがつきました。

だからか今でも思い出しては泣いています。

こんなに悔しくて悲しい思いを死ぬまで持ち続けるんですね。

あの日に戻りたい。1日でもいいから。

 (浪江町から埼玉県に避難中の女性)

そして、浪江町は帰還困難区域を除く町の避難指示を3月31日に解除する政府案を容認することとなり、解除対象は、避難指示解除準備区域7469人、居住制限区域7858人の計1万5327人(2016年1月末現在)で、これまでの避難区域で最多となります。継続して戻ることはできない帰還困難区域の住民は3137人となっています。

さて、避難者状況調査にご協力をいただき、ご返送いただいた回答用紙をひとつひとつ拝見していると、多くの被災者の皆さんにとって、あの日のことが心に大きな傷として突き刺さったままになっているようです

あの日がまた近づく。

「忘れていたけど、あったんだ」というようにマスコミが動き出す。

2月、3月は、だから心がざわめく。

普段忘れていたことがよみがえる。

間違いなくあったことだから、そして2度とあってはいけないことだから、忘れてはいけない。自分の中で風化させてはいけないと思ってはいるものの、やっぱり辛いことは消えない。

福島、原発、放射能、津波、そんな言葉を見たり聞いたりするたびに、涙ぐんでしまう。

波にさらわれたあの子はどんなに苦しかったことか。

当時6年生だったあの子の同級生に本当の笑顔は戻るのだろうか。

追いうちをかけた原発事故。嘘がまかり通った政府の発表。国が国民をだましてどうするの!?誠実さの欠けた対応が、更に私たちを傷つけていることに気づいていないのだろう。

今回いただいた調査書は、一番詳しく、答えに困ったところもあります。本音を言えばこのような調査も避けて通りたい。でも逃げ回っていたあの頃は、記録も記憶もあまりないので、明らかになった部分で自分を立て直すには必要なことかもしれない。

バラバラになったジグゾーパズルの見失った片を、まだ全部探せていない。

そんな思いから抜け出せない。

(南相馬市から千葉県に避難中の女性)

東電、国、福島県への「不満」「不信」を源泉とする怒りの感情は、長引く避難生活の中で、時間とともに「あきらめ」、「やるせなさ」という感情へ向かっているように感じられます。

原発避難者がたくさんいても皆自分の生活で精一杯なので、東京にいると特に風化を感じる。

節電節電って騒いだのは一年目だけ。

その後は、冬のイベント、イルミネーションが復活。

新しいビルがたくさん。高層マンションがたち、沢山の電気を使ってる。

沢山の便利な中にいると、前の自分を見失いそうです。

特にオリンピックが決まってから震災という言葉が急速に失われていく気がしました。

私たちにしてみたら、オリンピックのこと、ましてや一年後が見えないのです。

でも悩みを子供たちには見せられないので、一人頑張るしか・・・

よく賠償金をもらってるからいいよねって、言われる事あるけど、失ったものの方が大きいということを分かってほしい。

きっと理解してもらえないんだろうなとも思うけど・・・

(浪江町から東京都に避難中の女性)

「情け」、「想像力」の欠如による差別、いじめの問題

“情けない”。文字通り人としての「情け」に欠ける場面に出くわすことは、ただでさえ精神的苦痛を背負っている避難者にとっては、とてもとても辛いことです。

原発事故で避難を余儀なくされた方への心無いことばが投げかけられること、一部には実際に嫌がらせを受けている状況について避難者状況調査の自由記述欄で声を上げてくださっている方がいらっしゃいます。今までにも、私たち震災支援ネットワーク埼玉でも幾度となく相談を受けています。

これらの背景には、第一に、放射線に関する誤った認識があるようです。

原発事故の発生直後、全国各地で福島からの避難者を受け入れたり、募金や物資を提供するなどの支援が行われた一方で、放射能への誤った認識や過剰なまでの不安から「福島」を避ける現象がいくつもありました。

京都では、陸前高田市の松の薪が放射能の懸念があるということで五山送り火での使用が取りやめとなりました。

福岡では、福島を支援するための産地直送の販売店が、「福島からのトラックは放射能をばらまく」などと誹謗中傷され、福島の物産の販売が中止となりました。

愛知の花火大会では、「放射能で汚染された花火を上げるな」との苦情で福島県内の会社がつくった花火の打ち上げが中止となりました。

大阪では反原発運動の活動家たちにより、福島の子どもの葬式を模して、小さな棺桶を担ぎながら町中を行進する”葬式デモ”が行われています。

さらには、このようなことがマスコミで報じられることでの誤解はさらに誤った方向へ向かってしまうこともあるようで、ごく一部には、福島から避難してきたというだけで、放射線に汚染されているとまで思われてしまったり、放射線が人から人へうつるという科学的根拠に欠けるデマを真に受けている人もいるようです。

一方で、被災者が受け取っている賠償金に対する誤解/偏見、さらには妬みの感情もあるようです。避難住居を無償で提供され、仕事をしなくても暮らしていける、というように映るのでしょうか。そのように思う人には、原発事故で避難せざるをえなかった人々が抱える苦難/苦痛を想像することができないようです。そうです、偏見、差別、いじめの背景には「想像力の欠如」ということも大きな要因となるように思えます。

着の身着のままふるさとを追われて、帰れる目途も立たずに慣れない場所での避難生活を余儀なくされ、仕事も自宅も自然も地域も人間関係も、日常の暮らしを根こそぎ奪われ、生活エリアは放射線に汚染され、戻って生活することができない状況にあるわけです。失ったものは想像以上に大きいものです。とてもお金などで補えるものではありません。

実際、補償される額はとても納得できる額ではありません。交通事故の場合、損害賠償の事例が無数にあり、基準のようなものがあります。最低ランクの「自賠責保険基準」から、「任意保険基準」、「弁護士基準」、最高ランクの「裁判基準」という補償額の目安となるものです。原発の損害賠償の精神的慰謝料の場合、交通事故の最低限の強制保険である自賠責の額が基準となっており、当事者にとっては、到底納得できる金額ではないというのが実情なのです。

昨今、メディアで大きく取り上げられている子どもたちによる”原発避難いじめ”は、こうした大人の社会での心ない誤解や偏見を、子どもたちが真に受けてしまっていることが大きな原因となっているといわれています。強制的に避難させられた人たちが、どのような苦しみを味わってきたのか、どのように辛い思いでいるのか、大人たちが理解することが重要であると思います。調査用紙への回答、電話/面談/交流会での相談などを通じて、皆さんが今どのような問題を抱えているのか、どのような思いをいだいているのかを取りまとめさせていただいて、事実をより多くの方に理解をしていただくことも、私たち震災支援ネットワーク埼玉の責務の一つであると思っています。

ただし昨今表面化しているいじめの問題は、すでに避難当初から起きていることで、実際、私たちも数多くの相談に対応し、問題は当事者同士で解決してきました。マスコミでの報道に過敏に反応し過ぎることで、すでに学校に地域になじんでいるお子さんに、二次的な被害が及はないように十分に配慮していく必要があるものと私たち震災支援ネットワークは考えています。