震災支援ネットワーク埼玉

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第5回 避難者状況調査報告(2):強いられる「自己責任」~自ら望まない決断~

第5回 避難者状況調査報告(2):強いられる「自己責任」~自ら望まない決断~

「福島県内に帰還」するか「福島県外に移住」するか、首都圏避難者にとって、大きな選択が迫られています。発災以来、生活費、仕事、住まい、損害賠償、家族、コミュニティなど、さまざまな要因によって大きな精神的苦痛を背負ってきた避難者に、さらなる「決断」が突きつけられています。

それは自ら望むことがない、「自己責任」という名のもとでの「決断」です。

6年にわたる避難生活の中で、国も誰もはっきりとした見通しを示すことができない状況の中で、全ての判断と選択の責任が個人に任されることになります。これまでも首都圏避難者は原発事故という未曾有の事故によって、さまざまな選択と決断を余儀なくしなければなりませんでした。それぞれの事情を抱えながらのギリギリでの選択です。

そのたびに、「本当にこれで良かったのか?」という疑問とともに、後になって悔やむことも数多くあったことでしょう。

そして福島県外へ、首都圏へ避難するという大きな決断をしました。しかしそれは、自分でしたくて行った決断ではありません。どちらを選んだとしても、自分の選択を悔やんでしまうことになる、原発事故によって強制された「自己責任」です。

不安で誰からも守られない状況となると、人は自分では決まられなくなるものです。

帰還できないなら早く次の生活ができるよう事を決めていただきたい。

         (帰還困難区域から東京に避難中の男性)

早く避難者、被災者を卒業したい。

   (南相馬市から東京へ避難中の女性)

「福島県内に帰還」するか「福島県外に移住」するか、ふるさとを失った方にとって、重要な決断が迫られています。

設問の中で、「帰還するために特に重視する条件は何ですか?」とお尋ねした所、次の3点が上位を占めています。

  • 1位:放射線量の低下
  • 2位:ライフラインの整備
  • 3位:医療/福祉サービスの再開

放射線量だけを考えた場合、戻っても良いと考えられる放射線量の水準は「震災発生前の線量(追加被ばく0mSv)」が最も多い回答でした。さらに、「地元の避難指示が解除された後の、世帯の方針について」お尋ねした質問では、「帰還する」という回答は全体の6%にしかすぎず、「移住する」という回答は23%。「当面は避難を続ける」という回答が35%と一番多いものとなりました。

また「決めていない」という回答が24%。この選択肢はもしかすると実際には「決めることができない」という意味でお答えいただいた方が多いような気がしています。交流会や相談対応で避難者の方からお話をお聞きする経験からなのですが、次回は選択肢の表記を修正すべきと感じているところです。

首都圏避難者が抱く「情けない」という感情

「情けない」・・・交流会でお話をお聴きするときに、相談を受けるときに、被災者の方からよくお聞きする言葉です。やり場のない怒り、悲しみ、虚無感、あきらめの感情が込められた言葉としていつも受け止めています。

さいたま市で暮らす私(筆者)にとって、日々の慌ただしい暮らしの中で、東日本大震災の記憶が少しずつ薄れていくように思えます。今まで経験した事のない激しい揺れに大きな恐怖を感じました。

帰宅困難・・・計画的停電・・・。

そして繰り返す余震が発生するたびに、あの時の恐怖が何度も蘇り、数日間、常に地震で揺れているような感覚。

あの時の恐怖、あの時に感じたこと、あの時に思った事・・・
首都圏都市部で生活する私にとって、あの時のことが今では遠い過去のように記憶が薄れて行っています。

しかし、避難生活中の皆さんが異口同音におっしゃるのは「あの日から時計がとまったまま」ということです。それほどまでの体験をなさっているのです。

2016年度の首都圏避難者状況調査では、「あなた自身の事故発生当初1週間の原発事故体験について」お尋ねさせていただきました。

複数に〇をつけていただいたのですが、上位5つは以下の通りです。

  1. 何が起きているかわからなかった
  2. 報道で知って急に怖くなった
  3. 身の危険を感じた
  4. 必死に逃げた
  5. 放射線がとても怖かった

福島で被災し、原発事故により余儀なく避難を強いられた方にとって、その恐怖、衝撃は、想像に絶するものがあります。実際に体験した方でなければ、解らないことです。

あえて今一度、具体的に、これまで交流会、相談会でお逢いしてきた皆さんのお話の中で、福島県浪江町から避難していらっしゃった方のお話を想い出しながら、想像してみたいと思います。

巨大地震の発生で途方に暮れていたころ、

突然回りが避難を始め出し、警察や消防団も避難を呼びかけ始めて、県からも国からもどこへ逃げるべきか指示はなし。

町の判断で原発から30km離れた津島地区に避難所が開設。

約8,000名の町民が数日間避難。

配給された食事は、半分の大きさの冷たいおにぎりと具のない味噌汁。教室の中でダンボールを敷いて、寒さと不安で眠れない夜。

数日で自宅へ帰れると思っていた3月16日、

この地区の放射線量は毎時60マイクロシーベルトである事が判明。

被ばくの恐怖を抱きながら遠くへ遠くへ・・・

避難所を転々とするなかで、東京電力福島第一原子力発電所の状況が深刻であることを刻々と伝えるテレビのニュース・・・

放射線量が低く、生命の危機から逃れられた首都圏での避難所生活。自宅へそして故郷へ長きにわたって帰れないかもしれないという、不安。

国が、避難先の自治体が、用意してくれた住居は古いアパートの4階。二間しか無いアパートでは長男家族とは一緒に住むことはできず、

浪江では一緒に住んでいた長男は仕事で福島に戻ることに。

エレベーターの無いアパートでの高齢者の二人暮らし。

家業も失い、いまさら避難先でできる仕事もなし。

故郷では庭いじりをしたり、野菜を作ったりしていたのに、外出するのは買い物の時だけ。

長男と一緒にお盆の暑い盛りに防護服に身を包み一時帰宅。

庭一面に延びたセイタカアワダチソウをかき分けながら家の中へ。

地震で散乱した家の中に無数のネズミの糞。天井一面のカビ・・・

渡されたビニール袋に限られた想い出の品を詰める、限られた時間。

たくさんの想い出を置き去りにしての帰路。

家、土地、仕事、故郷、友達、生きがい・・・何もかも失った自分に届いた損害賠償請求書。

分厚い書類は難しい文章ばかり。要求される領収書。

自動車事故の時に支払われる最低金額の自賠責保険と同じ水準で定められた月額10万円という慰謝料。

やっとの思いで書いた請求書も、あれはダメ、これはダメと言われてしまい。

同じ町でありながら、3つの区域に線引きされて、生じた賠償格差。

避難指示が解除されて、戻ったとしても暮らしを立て直せるのかという不安。

都会に残ったからといって暮らしていけるかという不安。

これから先のことを選択しなければならない不安。

原発事故発生以来、避難を強いられた皆さんは、何度「情けない」という言葉を口に出した事でしょう。あるいは心の中で唱えた事でしょう。

「情けない」それは自分自身に向けられてしまっている言葉です。

その言葉を発するたびに、心の中に浮かぶたびに、自己の尊厳、自尊心が傷つけられるように思えてしまうのです。

この「情けない」という感情は、過去のものだけでなく、今でも継続しており、この先の見通しもつかないことに対しても抱かれるものです。

2011年、福島からたくさんの方が避難していらした年、私たちSSNが行った相談会、電話相談を振り返ってみると、浪江町から避難していらっしゃった方々の多くが、怒りの感情を露わにしていらっしゃった事が思い出されます。

東京電力への怒り、国への怒り、行き場のない怒り。。。

国がSPEEDIのデータを公表しなかった事、重大情報が伝わらなかった事で高線量の地域に避難させられることになったこと。

毎時60マイクロシーベルトの危険な場所に居ながら何も知らずにいたこと。

小さな子供を危険に晒していた事について悔み続け、誰を恨んでいいのかも判らない状況。

そのような経験をした方々の怒りが根深いのは当たり前のことです。

それほどまでの経験を強いられたのです。

あの日・・・何を見て何を考えたのか、

あれから・・・どこをどう歩いてここまでたどりついたのか。

忘れちゃいけないと思い、思い出し記憶しておくくせがつきました。

だからか今でも思い出しては泣いています。

こんなに悔しくて悲しい思いを死ぬまで持ち続けるんですね。

あの日に戻りたい。1日でもいいから。

 (浪江町から埼玉県に避難中の女性)

そして、浪江町は帰還困難区域を除く町の避難指示を3月31日に解除する政府案を容認することとなり、解除対象は、避難指示解除準備区域7469人、居住制限区域7858人の計1万5327人(2016年1月末現在)で、これまでの避難区域で最多となります。継続して戻ることはできない帰還困難区域の住民は3137人となっています。

さて、避難者状況調査にご協力をいただき、ご返送いただいた回答用紙をひとつひとつ拝見していると、多くの被災者の皆さんにとって、あの日のことが心に大きな傷として突き刺さったままになっているようです

あの日がまた近づく。

「忘れていたけど、あったんだ」というようにマスコミが動き出す。

2月、3月は、だから心がざわめく。

普段忘れていたことがよみがえる。

間違いなくあったことだから、そして2度とあってはいけないことだから、忘れてはいけない。自分の中で風化させてはいけないと思ってはいるものの、やっぱり辛いことは消えない。

福島、原発、放射能、津波、そんな言葉を見たり聞いたりするたびに、涙ぐんでしまう。

波にさらわれたあの子はどんなに苦しかったことか。

当時6年生だったあの子の同級生に本当の笑顔は戻るのだろうか。

追いうちをかけた原発事故。嘘がまかり通った政府の発表。国が国民をだましてどうするの!?誠実さの欠けた対応が、更に私たちを傷つけていることに気づいていないのだろう。

今回いただいた調査書は、一番詳しく、答えに困ったところもあります。本音を言えばこのような調査も避けて通りたい。でも逃げ回っていたあの頃は、記録も記憶もあまりないので、明らかになった部分で自分を立て直すには必要なことかもしれない。

バラバラになったジグゾーパズルの見失った片を、まだ全部探せていない。

そんな思いから抜け出せない。

(南相馬市から千葉県に避難中の女性)

東電、国、福島県への「不満」「不信」を源泉とする怒りの感情は、長引く避難生活の中で、時間とともに「あきらめ」、「やるせなさ」という感情へ向かっているように感じられます。

原発避難者がたくさんいても皆自分の生活で精一杯なので、東京にいると特に風化を感じる。

節電節電って騒いだのは一年目だけ。

その後は、冬のイベント、イルミネーションが復活。

新しいビルがたくさん。高層マンションがたち、沢山の電気を使ってる。

沢山の便利な中にいると、前の自分を見失いそうです。

特にオリンピックが決まってから震災という言葉が急速に失われていく気がしました。

私たちにしてみたら、オリンピックのこと、ましてや一年後が見えないのです。

でも悩みを子供たちには見せられないので、一人頑張るしか・・・

よく賠償金をもらってるからいいよねって、言われる事あるけど、失ったものの方が大きいということを分かってほしい。

きっと理解してもらえないんだろうなとも思うけど・・・

(浪江町から東京都に避難中の女性)

「情け」、「想像力」の欠如による差別、いじめの問題

“情けない”。文字通り人としての「情け」に欠ける場面に出くわすことは、ただでさえ精神的苦痛を背負っている避難者にとっては、とてもとても辛いことです。

原発事故で避難を余儀なくされた方への心無いことばが投げかけられること、一部には実際に嫌がらせを受けている状況について避難者状況調査の自由記述欄で声を上げてくださっている方がいらっしゃいます。今までにも、私たち震災支援ネットワーク埼玉でも幾度となく相談を受けています。

これらの背景には、第一に、放射線に関する誤った認識があるようです。

原発事故の発生直後、全国各地で福島からの避難者を受け入れたり、募金や物資を提供するなどの支援が行われた一方で、放射能への誤った認識や過剰なまでの不安から「福島」を避ける現象がいくつもありました。

京都では、陸前高田市の松の薪が放射能の懸念があるということで五山送り火での使用が取りやめとなりました。

福岡では、福島を支援するための産地直送の販売店が、「福島からのトラックは放射能をばらまく」などと誹謗中傷され、福島の物産の販売が中止となりました。

愛知の花火大会では、「放射能で汚染された花火を上げるな」との苦情で福島県内の会社がつくった花火の打ち上げが中止となりました。

大阪では反原発運動の活動家たちにより、福島の子どもの葬式を模して、小さな棺桶を担ぎながら町中を行進する”葬式デモ”が行われています。

さらには、このようなことがマスコミで報じられることでの誤解はさらに誤った方向へ向かってしまうこともあるようで、ごく一部には、福島から避難してきたというだけで、放射線に汚染されているとまで思われてしまったり、放射線が人から人へうつるという科学的根拠に欠けるデマを真に受けている人もいるようです。

一方で、被災者が受け取っている賠償金に対する誤解/偏見、さらには妬みの感情もあるようです。避難住居を無償で提供され、仕事をしなくても暮らしていける、というように映るのでしょうか。そのように思う人には、原発事故で避難せざるをえなかった人々が抱える苦難/苦痛を想像することができないようです。そうです、偏見、差別、いじめの背景には「想像力の欠如」ということも大きな要因となるように思えます。

着の身着のままふるさとを追われて、帰れる目途も立たずに慣れない場所での避難生活を余儀なくされ、仕事も自宅も自然も地域も人間関係も、日常の暮らしを根こそぎ奪われ、生活エリアは放射線に汚染され、戻って生活することができない状況にあるわけです。失ったものは想像以上に大きいものです。とてもお金などで補えるものではありません。

実際、補償される額はとても納得できる額ではありません。交通事故の場合、損害賠償の事例が無数にあり、基準のようなものがあります。最低ランクの「自賠責保険基準」から、「任意保険基準」、「弁護士基準」、最高ランクの「裁判基準」という補償額の目安となるものです。原発の損害賠償の精神的慰謝料の場合、交通事故の最低限の強制保険である自賠責の額が基準となっており、当事者にとっては、到底納得できる金額ではないというのが実情なのです。

昨今、メディアで大きく取り上げられている子どもたちによる”原発避難いじめ”は、こうした大人の社会での心ない誤解や偏見を、子どもたちが真に受けてしまっていることが大きな原因となっているといわれています。強制的に避難させられた人たちが、どのような苦しみを味わってきたのか、どのように辛い思いでいるのか、大人たちが理解することが重要であると思います。調査用紙への回答、電話/面談/交流会での相談などを通じて、皆さんが今どのような問題を抱えているのか、どのような思いをいだいているのかを取りまとめさせていただいて、事実をより多くの方に理解をしていただくことも、私たち震災支援ネットワーク埼玉の責務の一つであると思っています。

ただし昨今表面化しているいじめの問題は、すでに避難当初から起きていることで、実際、私たちも数多くの相談に対応し、問題は当事者同士で解決してきました。マスコミでの報道に過敏に反応し過ぎることで、すでに学校に地域になじんでいるお子さんに、二次的な被害が及はないように十分に配慮していく必要があるものと私たち震災支援ネットワークは考えています。

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